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私たちのくらしと丹沢

私たちのくらしと丹沢 第1部 2.丹沢は南の海からやってきた


丹沢は南の海の火山島
 今から約1,500万年前、 丹沢は南の海に生まれた火山島でした。このころ海は、今よりも暖かい海でした。フィリピン海プレートの動きとともに、丹沢は本州に向かって移動し、やがて長い時間をかけて本州側にくっつきました。それが約600万年前のことです。
その後、丹沢の南にあった伊豆半島も本州に向かって移動し、約100万年前にくっつきました。そして、本州と伊豆半島にはさまれて、もり上がった場所が、丹沢山地となりました。
プレートと丹沢
枕状溶岩 枕状溶岩
丹沢火山島から流れ出た溶岩が冷え固まったもの
(早戸川上流) 。写真提供:門田真人氏
縦になった地層 縦になった地層
プレートに押し上げられた力でゆがんだ地層
(相模原市津久井町) 。写真提供:神奈川県立生命の星・地球博物館

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プレートって何
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4つのプレート
地球の表面はいくつかのプレート(かたい岩の板ようなもの)に分かれていて、それが絶えず動いて押し合っています。
日本は、4つのプレートが押しあう場所にあり、地震が発生しやすいといわれています。
丹沢から伊豆にかけて、3つのプレートが沈み込む場所は、世界的にみてもめずらしい場所です。

南の海にあった証拠
  丹沢の各地で、暖かい海にすむサンゴなどの化石をみつけることができます。これらは、丹沢が南の海からやってきた証拠です。
キクメイシ化石
オウムガイ化石
キクメイシ(サンゴの一種)の化石
火山島がサンゴ礁に囲まれていた証拠。
(山北町人遠産)写真提供:門田真人氏
オウムガイ化石
熱帯の深海にくらすオウムガイの化石。
(山北町白石沢産)写真提供:門田真人氏

関東大震災【1923年(大正12年)9月1日】
 関東大震災は、プレートの衝突により発生しました。丹沢山地は、震源に近かったため、多くの場所で斜面がくずれ落ち、ガレ場(崩壊地)がたくさんできました。その後、荒れ果てた姿になってしまった丹沢山地に森林を取り戻す取り組みが続けられ、少しずつ山は緑を回復していきました。 丹沢山地は、今でも少しずつフィリピン海プレートによって押し続けられています。
昭和20年代後半の荒廃状況
昭和20年代後半(1945年)の荒廃状況(大山山頂より)写真提供:神奈川県林業史

  


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